「生産」から「創造」へ

物理学には慣性と粘性という言葉があります。慣性(英語でINERTIA)は動き続けようとする力、粘性はその場に留まり続けようとする力。
時代の変化に鋭敏に反応していく慣性的な態度を大切にしていきたい。INERTIA という言葉にはそのような思いが込められています。

2020年にはプログラミング教育が小学校でスタートします。その後、1年ごとに中学校、高校でも講義が始まろうとしています。
この変化は何を意味しているのでしょうか?
制度としてのプログラミング教育は、AIやIoTを扱える人材を育成するとか、日本経済を復活させるとか、
そのような産業の要請によって作られた物語に過ぎません。

しかし、この変化はそれだけに留まらない大きな可能性を持っています。
プログラミングとは生産(プロダクション)の話ではなく、創造(クリエーション)の話なのです。

私たちがかつてないレベルで創造的に生きていくための第一歩が始まろうとしています。
多くの人が新たな創造の術を獲得し、自身の身体を拡張し、自己実現し、幸福に人生を歩んでいく社会が始まろうとしているのです。

このような問題意識から、私たちは「アート」「プログラミング」「社会」をつなぐためのメディアとしてINERTIAを立ち上げました。

アート、建築、音楽、デザイン、ファッション、パフォーマンス、スタートアップといった様々なクリエーションの最前線において、
プログラミングはどのように使われているのか。これからの社会を引っ張っていく創造的な仕事に就くために、小中高校で何を学ぶべきなのか。
子供の創造性をしなやかに伸ばしていくために、教育者や親は何を大切に考え、どのようなマインドセットを持つべきなのか。

そのような情報をシェアする生態系を育成することで、
プログラミング教育の先にある社会の姿や令和時代の創造的な日本人像も見えてくると私たちは信じています。


INERTIA

ESQUI55E

INERTIAが独自に開発制作しているプログラミング教材 ”ESQUI55E”(エスキス)は、 下記のコンセプトを実現したまったく新しい教材です。

スマートフォンのみで、コンテンツを学びきることが可能です。
ウェブが動作する環境であればMac/Windowsは問いません。

利用者のレベルに合わせて、合計60以上のコンテンツのどこからでも始めることができます。

慶應義塾大学SFCの講義にて使用され、教師が教育機関で指導するサポートとしても役立ち、小学校高学年から、子どもひとりでも学べるように 文章は学習指導要領に合わせて制作されています。

イラストには長場雄氏を起用。今回のために新作オリジナルのイラストを使用しています。

コラム

創造者たちによる自由なコラムです。

僕がはじめてコンピュータに触れた頃
第1回 コンピュータと翼
慶應義塾大学環境情報学部教授
脇田 玲

2017年の11月、僕はRedBull Music Festivalの舞台に立っていた。むろてつさんと僕のユニット Tetsuya Komuro & Akira Wakita は、その前年にArs Electronica Festival 出展した8Kの映像作品に小室さんが音楽をつけてくださったことがきっかけで始まったコラボレーションプロジェクトだった。何度かライブをご一緒しながら、映像と音像のシンクロしたパフォーマンスを少しずつ作り上げていった。その集大成が2017年の MUTEK / RedBull Music Festival だった。とても恵まれた機材と環境の中で僕たちはパフォーマンスを始めようとしていた。歓声の中で舞台に上がり、Redbullの向き合った雄牛のマークをぼんやりと見ながら、僕は大学生になった頃を思い出していた。

1993年、僕は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)に通う大学一年生だった。そこではじめてコンピュータに触れた。最初に使ったソフトウェアは「由美子先生」という名前のタッチタイプを練習するプログラムだった。画面に表示される文章を間違わないように打ち込んでいく。両手を使ったタイピングは初心者にはかなり骨の折れる作業だ。文章を打ち終わると、所要時間と誤字脱字から点数が決まり、由美子先生からのメッセージが画面に表示される。ちなみに一番最初のメッセージは「遅いですね。足で打ってるんですか」だった。

この時触れたコンピュータはUNIXという由緒正しいOSが動いていて、あらゆるプログラムを文字列で入力するコマンドラインインターフェイスを採用していた。だからタッチタイプがなによりも先に必要だったのだ。例えば、ファイルを消去する場合には”rm hoge.txt”と打つ。”rm”が消去のコマンド、”hoge.txt”は消去するファイル名という具合だ。ちなみに、もし間違えてファイルを消してしまった場合、それを元に戻すことはできない。”rm *”と打ち込むと全てのファイルが消えてしまう。一つのコマンドの打ち間違いが大きな悲劇につながる恐ろしさがあった。でも使い慣れるとものすごいパワフルで、そこに至るまでには長い修練が必要ではあるのだが、僕はコマンドラインの愛と鞭の世界を楽しんでいた。

コマンドラインの基本を覚えると、次にメールの使い方を学んだ。今でこそメールは一般化したけど、当時は周りにPCを持っている人がそもそも少なかったし、メールを使いこなしている人はほとんどいなかった。最初に「メール」という言葉を聞いた時、そのフラットな音韻をとても新鮮に感じたのを覚えている。当時の「メール」は、今でいうところの「ライン」とか「メルカリ」的なある種のトレンド感を持った言葉だったのだ。

UNIXの操作に慣れると、今度はプログラミングを学んだ。これが驚くほどつまらない講義で、よく途中で放棄せずに向き合ったものだと思う。プログラミングの教授法がなぜダメなのかは今後のコラムでしっかりと語っていくのでその詳細は省略するが、とにかく抽象的な思考を強いる所が僕の肌にはまったく合わなかったのだ。そしてこれを学んだ先に自分の人生がどのように変わっていくのか、そのような未来や希望の話がまったくなされない中で、必修だから学習せざるを得ないという状況がつらかった。

そんな僕を救ったのはWebだった。自分のWebサイト(当時はホームページと呼ばれていた)を作りたいという明確な目的があったから、放課後にコンピュータルームに入り浸ってWebの世界に入り込んでいった。そこからプログラミングも徐 々に楽しく感じられるようになり、コンピュータグラフィックスやCADの世界に興味が徐 々に移り、C言語やC++を使った計算幾何学の世界に没頭していった。いつのまにかコンピュータが大好きになり、プログラミングでものづくりをすることが生きる目的になっていった。

思えば、僕はSFCという場所で「翼」を授けられたのだった。タッチタイプすらままならなかった新入生が、UNIXに悪戦苦闘しながらメールを覚え、Webにハマり、プログラミングの世界へと誘われていった。24時間使える高速なコンピュータとインターネット環境が存在していたのも幸いだった。デジタルの世界で自由に創作する翼が僕に希望と未来をくれた。RedBullの「翼を授ける」というCMがあるが、そのようなある種の自由を手にいれた感覚を当時の僕は確かに感じていた。将来自分がRedBull Music Festivalの舞台に立つことになるとは思いもしなかったが。

あれからもう25年も経った。キャンパスは当時の僕と同じ年頃の若者で溢れている。彼らにとっての翼はいったい何であろうか。どうやったら彼らに未来に繋がる翼を授けることができるだろうか。

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